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自分は幸せなのに 親が満足しない 過干渉な事が辛い

自分は幸せなのに 親が満足しない 過干渉な事が辛い

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子といいます。

それなりの学校を卒業して、
一流とはいうわけではないけれど、安定した会社に入った。

社会的に地位があるわけではないけど、
まじめな人と結婚して仲良くやっている。

それなのに、親が満足してくれない。

男の子が欲しかったと言ってみたり、
どこそこの婿さんは大きな会社にいるとか、
孫は小学校から有名私立に言ったとかいった話ばかり聞かされる。

帰省するのも気が重い。

虐待されたわけではないし、
期待して大切に育てられたのは良くわかっている。

そんなに好きではない仕事をして学費を捻出してくれた事には
感謝も申し訳なさも感じている。

それでも、大人になるにつれて、
親が嫌いになってきた。
これからもますます嫌いになりそうな気がする。

いっそ、虐待されていれば憎み切れたかもしれない。
その方がまだ、楽だったかもしれないと思う事さえある。

決して珍しいお話ではありません。

嫌わずにいられない子供も不幸ですし、
大切に育てたはずなのに嫌われる親も不幸です。

どうしてこんな事がおこってしまうのでしょうか?

親子でも別の人間・・望む幸せ像は違う

親子でも別の人間だという事は言わずもがなの事なのですが、
親の側にはその実感がない事があります。

無理もありません。
特に母親にとって子供は自分の中に居たのですから、
自分の一部のような感覚が抜けないのも無理はないような気がします。

それだけならまだしも、
親子の関係をこじらせてしまう要素が
子供に代理戦争をさせてしまうという事ではないかと思います。

代理戦争という言葉を調べても
用法に親子関係の例は見かけないのですが、
私は代理戦争という言葉がしっくりするように思います。

親が自分の人生を満足して生きていない時、
自分が生ききれなかった生き方を
代わりに子供に生きさせようとする。

母親が一流大学を出て、
キャリアウーマンと言われる働き方をしたかった。

学費の問題であったり、
学力であったり、
家庭の事情でなどであきらめざる負えなかった。

自分の生きたかった人生を子供に肩代わりさせようとする。

親の側は自分が生きたかった人生を肩代わりしてもらっているので、
そこに向かって努力する事は喜びにしか映りません。

自分がさせてもらえなかった事をさせてもらえる。

子供に喜んでもらって当然だと思うのもわからないではありません。

それでも、親子は違う人間であり、
やりたい事も違っています。

つましい暮らしでも、好きな人と家庭を持てた事に満足している時に
友達の夫を持ち出して、
あそこの婿さんは立派だけどあんたはババを引いた
女が働かなければならないなんて、と言ってほしくはありません。

それは親が、自分の人生で優先する幸せ像が、
夫との関係性より経済面にシフトしているというだけの事です。

子供が欲しい気持ちは夫婦で共有していて妊活もしている。
そんな時でも、
親から子供はできないのかと言われると切れそうになります。

親の中に、子供がいるのが幸せ
子供を持って一人前という
固定観念が見えるからです。

若い夫婦は二人で、
子供がいなくて幸せだよね、でもやっぱり欲しいね、と
何度も何度も反芻しているのです。

それは夫婦の問題。

親であっても、そこに口を入れるのは大きなお世話です。

親子で求める幸せ像が違った時

子供は自分の幸せを優先する

こんな時に、親の期待に応えようと頑張るのはお勧めできません。

親の提示する幸せの姿が、本当に自分の幸せと思う時は問題ないのですが、
親に応えない事に罪悪感を持つ必要はありません。

それでも、親の期待を優先しなければならない気持が働くなら、
それは罪悪感というより
上手くいかなかったら、親のせいにする余地を残しておきたいのかもしれません。

結婚を反対されたから諦めた、
といつまでも親を恨んでいる方がいらっしゃいますが、
貫く事は出来たはずです。

それをしなかったのは、自分の責任です。

彼との関係より親が大事だったか、
上手くいかなかったら自分で背負いきれないと思ったからです。

それが悪いわけではありません。
それも立派な決断です。
ただ、親に言われたからではなく、
親の意見に従う事を自分が選んだんだ、という自覚は必要です。

そのかわり、自分の幸せを貫いたからには、
最後まで責任を持つ覚悟は必要です。

別れて帰ってきて子供を親に預けて働くなどは、
いい悪いで言えない事ですが、
少なくとも親が子供を見てくれて当たり前だと思わない事です。

自分の人生を選び取るには
それくらいの覚悟は必要です。

親も改めて自分の人生を生きる

乳幼児、小学校低学年位までは子供の世話があるので
やりたい事が出来ないという事は、確かにあります。

しかし、思春期になれば多くが余分なお世話になります。

さりげなく見ている事は必要ですが、
口出しは不要。

生活のお世話からも徐々に撤収した方が良いです。

家族の洗濯は一緒にしても、
おしゃれ着のアイロンのかけ方に文句は言わせない。
文句があるなら自分でやりなさいと言うといったあたりから。

高校生の子供の昼ごはんを作ってやらなければならないから
母親が友達とランチ出来ないとかないですよね。

子供が甘えてくれば、いくつになっても子供世話は
楽しい一面があります。
社会人の娘にお弁当を作って会社に送りだす話を聞くと
そんな甘え娘だったら楽しかっただろうと、
私の中にも疼く思いがあります。

それでも
毒親と言われる一番の要素は過干渉だという事は
ぜひ記憶に留めておいてください。

子供が望むならこれから生きて行く子供の学費が優先するのは
親として普通の感覚だと思います。

それでも、望まない進学にやきもきして
子供と険悪になるくらいなら
子供に期待する事は放棄して自分の学びに使う方が良いかもしれません。

5年くらいガッツリ学べは大概の事はセミプロになれます。

それだけで生活を立てていくのは難しくても
老後楽しみがらお小遣いになるくらいは稼げるかもしれません。

こんな事をお勧めする理由の半分は
子供に目が行き過ぎない為。
もう半分は子供を代理戦争の尖兵にしない為です。

親自身が満足して生きて行く事は
親の為ではないと言ったら言い過ぎでしょうか?

最初のテーマ
子供は自立して自分の人生を生きている。
そこに幸せを感じている。
そんな状態でも親から生き方に不満を持たれると
言いようのない寂しさを感じる。
でしたね。

親が子供に自分の人生を肩代わりさせようとしないで
自分の人生を生きていればその状態はほとんど起こりません。

親が自分の人生を生きる事は
少なくとも親の為だけではなく
親子関係を改善して子供も幸せにするのです。

親の側が与える側に回るのは自然な事とは言っても
子供が当たりまえのようにそれに甘えているといった事はあります。

それでも、それを良しとしてきたそれまでの関係性もあるのです。

子供が自分の人生を選び取る事に主体性が必要なように、
親もこれだけの事をしてやった、と言いたくなる時は、
自分がやりたくてやってきたのだという自覚をもっている方が
良いと思います。

やりたくてやったのだから、
感謝や期待にそう事を強いるといった事はしない事です。
そして、そろそろ手を引いていく。

まず、頼まれるまではしないといた事からです。
頼まれれば、ちょっと恩を着せ手を貸す
お金を出す、くらいで丁度良いと思います。

ちょっと水臭く
寂しく思う方もおられるかもしれませんが、
大切に育てた子供に寂しい思いをさせない、
嫌われない
大切な秘訣だと思います。

親子の幸せへの尺度が違ってギクシャクしている方に私ができる事
子供の側でも親の側でも主体的に人生を選択していくお手伝い。親離れ、子離れの寂しさを癒していくプロセスに寄り添う事

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