いい人をやめられない 良い人をやめる事が怖い 「いい人」をやめると楽になるか
- 2019.01.22
- コミュニケーション 自分との対話 自分育て
看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子です。
このごろ、いい人やめましょう。
いい人をやめると楽になる。
といった言葉を聞く事が多くなりました。
言わんとする事はわからないではないのですが、
これだけ言うのは、かなり乱暴な事のように思います。
本当に、いい人やめて良いんですか、と私はきき返してみたくなります。
いい人にが良い、とされていたのは、
やはり、その方が自分も楽だったからです。
いい人は、相手に都合が良い人だけを言うわけではありません。
思いやりのある人。
人の気持を考える人。
人当たりが良くて機嫌の良い人。
みんな人として大切な事ではないでしょうか?
いい人になれば、周囲からも受け入れられます。
大好きになってもらわなくても、
嫌われず受けいらられる方が、
社会で生きていくには楽です。
この辺りの事を、スキップして、
よい人をやめましょう、と吹聴する人を私は好きになれません。
それでも、いい人をやめましょうと言われるには、
それなりの理由があります。
いい人をやめるのか、良い人でいるのかを考える時に、
まず、このあたりは踏まえておいた方が良さそうです。
いい人が問題になる時
よい人をやめましょうという言い方が流行るのは、
その弊害があるからです。
良い人をする事に疲れてしまった、
といった言葉は実際に、クライアントさんからもききます。
よい人である事が問題になるのは、
自分の気持を無視して人の目を気にしてしまうからです。
言いたい事を我慢している、
こう言いたいんだけど、今言うと気まずくなりそうだと
意図できているうちは良いのですが、
本当は自分はどうしたいのかがわからなくなってくるようなら危ない。
簡単なチェックをやってみましょう。
会社でランチに行く時、同僚がラーメンを食べたいと言ったが、
自分はスパゲティーが食べたかった。
自分はどんな反応をしますか?
私はスパゲティー、と言っても良いですし、
本当はスパゲティーが食べたいんだけど
今日は譲っておこうと思うっても良いのです。
ただ、みんながラーメンを食べたいと言った瞬間、
自分が何を食べたかったかわからなくなって言われるままに着いていったり、
先回りして人が何を食べたいかをきいてまわる、
といった事がいつもであれば、ちょっと危ない所にいるような気がします。
そんな人は、日常の些細な事から、人生の大きな決断まで同じようにやっています。
結婚したい相手がいたのに、親が勧めてくれる人と結婚してしまう
といった事もやりかねません。
親に言われているうちに親の言う所が腑に落ちたのなら
それもありです。
やみくもに、反発しろという話ではありません。
ただ、親が喜ぶからという理由で選んで、
うまくいかなくなると親を怨むのは感心できません。
仕事をやめて欲しいと言われた彼に従った、
といった場合も同じです。
あの時、あなたがやめろと言ったから、と
恨み事を言そうなら自分のやりたい方を選んだ方が良いかもしれません。
どんな選択が正解だというのではありません。
自分の気持を無視してしまっている事が問題なのです。
親に反対されて結婚をあきらめるなら、
自分は彼よりも親が大切なのだと認識する。
そこで、うなずけるなら、あきらめる事が問題ではありません。
夫になる人に家庭に入って欲しいと言われて仕事をやめる。
彼が望む家庭を作る事が仕事より大切。
そこを認識しておく。
同じ選択をするにも、
自分の意思であるか、人に言われたからかは区別しておく。
そして、自分の責任で選択する。
楽に自由に生きる事には、この自分で決めて自分で責任を取る事が付いてきます。
それができない人は、相手が望む所に従っていくしかないのかもしれません。
相手がどこまで責任をとってくれるかはわかりませんが、
相手がこう言ったという言い訳はできます。
どちらを選ぶかは自分しだいです。
いい人は演じるもの
よい人である事が世間でよしとされてきたのは
それが相手に受け入れられやすいからです。
いい人とみられたがるより、
本当の自分でいた方が好かれるといった言い方も結構目にしますが、
疑わしいと思っています。
人と親しくなる第一歩は、好感をもってもらえる事です。
シンプルに言えば感じが良い事。
どんなに適格な事を言っても、
威圧的な管理者は概ね嫌われます。
下の立場であればなおの事、
上に話を通そうとしたら、かわいい奴と思ってもらった方が早いです。
自分本意を通そうと思ったら、相手に気に居られる事が必要です。
いい人をやめると、社会的には、とても生きずらくなります。
自分の本音に従って生きているという意味では、楽になる部分もあるかもしれません。
それでも、本音で生きる事が、歓迎されるとは限りません。
私が試行錯誤しながらたどりついた
お勧めのスタンスは
いい人を演じる事です。
いい人になるのと、いい人を演じる。
どこが違うかわからないと言われる方も多いと思います。
行動はほとんど変わりません。
ただ、そこに、自分の意図を自覚しているかどうかです。
上司のつまらない自慢話に、
流石ですね~と言う時。
どこかで機嫌を損じないようにビクビクしているか、
ちょっと持ち上げて関係を良くしておく事を意図するか。
客のクレームに頭を下げる時に、
ここでうまくやっておく方が、
自分の為にも会社の為にもなるのだと思えるか。
そんな所に立って、
自分の振る舞い方を決めていくのは、
面白いものです。
自分の気持を通す為に、いい人を演じる。
いい人をして、人をあやつるような感じを楽しむ
あやつるという言葉には抵抗があるでしょうか?
相手を喜ばせる事あっての事ですから、
決してうしろめたい事をするわけではありません。
そんな視点から、自分の行動を見直してみる。
ランチに何を食べるかよりも、
みんなが食べたい物に付き合って
楽しい時間を過ごす事が大事ならそれはそれで良し。
リサーチしてきた新しいお店に誘いたいなら
それはそれで良いのではないでしょうか。
いい人である事を手放そうとするのも良いのですが、
時には、必要に応じて良い人を演じる。
かといって、良い人でなければならないと頑張りすぎない
といったあたりが、
楽で自由な生き方のように思えます。
いい人をやめられない方の為に私ができる事
ご自分の本当の気持ちに結びつくお手伝い。それを上手に表現する方法をご一緒に考えていく事
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