子供に毒親と言われ絶縁したいと言われた時 親はどう対処するか
看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。
毒親という言葉はいつごろからあるのでしょう?
ちょっと気になって調べてみました。
毒親という言葉は1989年にイギリスのtherapist、スーザン・フォワードの「毒になる親一生苦しむ子供」で使われたのが最初。
邦訳されたのが、1999年との事ですので、日本でもすでに20年近い歴史があるようです。
アダルトチルドレンと毒親は、クライアントさんの口から聴く事もありますが
心理にそれほど興味のない知人から聴くことも多いので、一般的な言葉になってきているようです。
子供の側から、自分はアダルトチルドレンで、ときく事が多く思く、
親の側からは、毒親呼ばわりされという嘆きをきく機会が多いように思います。
手塩にかけて育てた子供に、毒親呼ばわりされてショックを受けない親はいないでしょう。
まだ、虐待まがいの事をやってきた事に思いあたる親の方がショックは少ないかもしれません。
斎藤学氏によれば、毒親には4タイプあって、
①過干渉②ネグレクト③虐待④病気の親 を上げています。
ネグレクトや虐待よりも、過干渉が先に来ているのが目を引きます。
大切にしてきた事で、毒親よばわりされなければならないのか。
親の側の、怒りとも哀しみとも言えないやるせない気持はよくわかります。
毒親と言われて自省するポイント
こんなに大切に思っているのに、と嘆きたい気持はよくわかるのですが、
思春期、時には大人になってから、毒親という言葉を親に投げかけた子供は
そでまで、良い子できたのではないでしょうか?
大切な子供が、本音を言ってくれた。
そう思えただけで、関係はかわります。
良かれとの思いからだけど、自分の望む立派な人になって欲しいと思った。
自分の望む幸せが子供の幸せと思ってきた。
子供の望む所と、ちょっとずれがあったかもしれない。
そんな所まで振り返る事ができたのなら、関係を改善していくのはそんなに難しい事ではありません。
しかし、それだけの事ができな事が多いのです。
自分はこんなに大事に思っているのに、
自分はこんなに手を掛けたのに、
自分は、自分はで
まわり始めると、ハムスターが回し車の中で回っているような物です。
出口がありません。
疲れ果てるまで車を回してみるか、
人の手を借りてでも車を止めてみるか。
早いのは、一旦車を止めてみる事です。
いきなり反省する事に意味があるとは思えません。
反省しているようでも、
お母さんが悪かったから捨てないで頂戴と追いすがっているような時が多いです。
ただ、自分が良かれと思っていた気持を脇において
子供の側から自分を見てみるような視点を持てると良いと思います。
ちょっと重かったかもな、と思えれば上出来です。
自分を責めたりしない事です。
良かれてと思っていたけど
ウザイと言いたかった気持もわかるわ・・
これを言葉にして子供に伝えられるのが理想ですが、
あんまりそこで頑張ろうとしなくても良いです。
何か言い争いにでもなった折りに、
あなたも立派な大人だから、もう言わない。
自分の責任でやっていって、と言える下準備にはなります。
それくらいで充分です。
毒親という言葉に屈してはいけない時
毒親という言葉で親が振り返らなければならない事は確かにあります。
良かれという思いがあったにしても、それで子供を追い込んでしまった。
そんな経過があったので、毒親と言われてしまった。
だからといって、子供の言いなりになる必要はありません。
特に、成人した子供が、自分が苦しんできた代償と言って
金品を要求するような時は毅然とした態度を取る事も必要です。
子供は親の思うように生きる必要はないけれど、
自分が思うように生きていく責任は自分で取るのは当然の事ではないでしょうか。
これまでは、親が子どもを思うようにしようと思っていたかもしれません。
しかし、今度は子供が親を思うようにしようとしている。
役割は逆転しても、同じ事が起こっている事に気づかなければなりません。
あなたは思うように生きていっても良い。
今まであなたを育てたのは、私がそうしたかったからだから、
そこに縛られる必要はない。
ただ、あなたが思うように生きていくなら、
その責任はあなたにあるのだかから、もう援助はいらないね。
そう言ってやる事が必要です。
自立心の強い子供なら、黙っていてもそんな道を選びます。
育てられ方の不満を、就職して家を離れる事で解消できない、
ある意味、心が弱い子供ほど、
親に暴言を吐きながら宛てにしています。
心の病気で自立できないといったケースもないとは言えませんが、
基本、甘えられる状況であれば甘えてきます。
手放す事には、勇気がいりますし、寂しさも伴いますが、
自立させる事も子育ての大切なプロセスです。
親が寂しいからと囲ってしまう事は、
子供を思うようにしようとした毒親の延長をやっている事です。
絶縁も立派な選択
親子が絶縁するというと、大変な話。
投げやりに聞こえるかもしれません。
このごろは子供の側から絶縁を言い渡す事が多いように見えます。
親から絶縁したという話は身近には聞いた事がありません。
勘当という言葉は親が子どもと縁を切る時の言葉だと思うのですが、
時代のながれでしょうか。
毒親と言いながら金品を宛てにするような対応をしてくる子供なら、
親からの絶縁もあって良いと思います。
絶縁には決断が必要です。
病気をしたら、手を借りたい。
年をとったら面倒をみて欲しい。
そんな事を思っているうちは絶縁はできません。
それでも、片方が決断すれば絶縁する事はできます。
毒親。
親の存在が自分に毒になる。
いろいろ差し引いても毒になる方が大きいと言っている子供なら、
そうしてもらう事が好都合なはずです。
本当なら、もう少しマイルドに、距離を置けると良いのですが、
難しいなら一旦絶縁する事は悪い事ではありません。
この時大切なのは、先の事は決めないという事です。
今は一切援助もしないし、連絡も取らない。
かといって、一生復縁する事はない、という決断をする必要もありません。
駆け落ち同然で家を出た子が、
子供ができたので会わせたいと言って来た時に応じるかは自分次第です。
気持が動けば下手な意地ははらない方が良いですが、
無理をする必要もありません。
親が子供を支配する事はできません。
同じように、子供が親を操る事もできないのです。
これは言葉にすると寂しい事のようにも思えますが、健康的な事です。
毒親よばわりは独立宣言
共依存という言葉をご存じの方もおられると思いますが、
親子の共依存も珍しい事ではありません。
この子には私がいなくてはダメだと思う親と、
親には私がいなくてはダメだと思う子供が寄りかかりあっている。
この状態は、どちらかと言えば老いていく親に好都合ですが、
子供もそれを利用してしまう側面があります。
親が心配で家を出る事ができないと言っていれば、
新しいステージに踏み出す事を免除されたりします。
その延長でいわゆる適齢期という年齢を超えてしまうのは
惨い事のように思えます。
結婚するとか、家を出るとかは表面的な事です。
それでも、生活を共にしながら、お互いに自立するのは
より難しい事かもしれません。
そんな事を考えると、毒親という言葉を投げつけ家を出てやっていくというのは、子供の独立宣言。
喜んで良い事かもしれません。
*
毒親という言葉は、子供の口から語られる事が多いので、
今回は、親の側。
それも、大切に子供を育てた親の側から書いてみました。
毒親育ちの子供の言い分は、改めて書いてみます。
関係性は、余裕がある方が調整役に回るのが自然です。
子供が10代とか学校を出たばかりくらいの年齢なら、
まだ、親の方が調整役を意識しても良いように思います。
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