親を送る 親を看取る 最後ぐらいは 後悔したくない
- 2018.12.26
- 介護
看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。
親を送るにもいろいろなプロセスがあります。
できるだけ関わりたくないと思っていたけど、介護する羽目になった。
そこまでの状況が同じでも、恨みが募っていくような方もあれば、
老いた親をかわいく思えるようになったという方もあります。
若い時は好き放題を言って、気を揉ませた。、
子供も巣立ったから親を大事にしていくかな、と思った途端、
急病や事故であっと言うまに親が逝ってしまったという方も何人も知っています。
ただ、親の終末期を巡ってよく聞くのは、
「最後ぐらいはね・・」という言葉です。
いろいろあったけど、
絵に描いたような良い親子関係ではなかったけど、
不満もないと言えば嘘になるけど、
最後位は気持よく送りたい。
それが、親を送った後に、自分が生きていく力になるような気がする。
この、最後位・・を、全うする為に、どうやっていけば良いか考えてみたいと思います。
(介護をめぐるいろいろな問題は別の機会に書きます)
できれば長期戦で
親御さんが、余命宣告されたような状況の方もおられると思いますので、書く事にためらいもあるのですが、できればこのテーマは長期戦で考えた方が良いと思います。
子供が30代になる頃。
親が定年を迎える頃。
そのあたりから、親子の力関係が少しずつ逆転していく。
体力や、経済力、おそらくは知的な力なども、逆転していくと思うのですが、
この、力関係が逆転する、というのはなかなか難しいように見えます。
要は、子供がしっかり自分の足で立っていける事。
親を助けられるようになるのは、その後の話です。
子供の立場からは、都合の良い時だけ親を頼らない。
お金の無心をしないとか、旅行の時に全額持ってもらうのを当たり前にしない。
孫はかわいいだろうと当たり前に押し付けない。
そんな事から、少しずつやっておく事は、健全に力関係を逆転させていく力になるように思います。
病気をする事もあるでしょうし、いつからと区切る事でもないのですが、
もしかしたら、親が頼ってくるような状況もあると頭の片隅に置いておけると良いでしょう。
親の方も、いつまでも宛てにされても困るという事をちょっと匂わせておく。
そのかわり、一切口は入れない。
そんな事は言われるまでもない、という家庭がある一方で、
いつまでも、親を宛てにする。
親は支配する。
といいった所を抜けられない家庭もあります。
ここで一頑張りして、経済面、精神面で独り立ちしておくと、
子供の側が、40代、50代になって、自分の老いを感じ始めた時に比較的楽です。
自分の人生を自分が認める
親の看取るというテーマに、自分の人生を認めるというのは、飛躍があるように感じられるでしょうか。
それでも、これは外せないように思います。
家庭を持って別に暮らしている方であっても、一人暮らしであっても、
独身で親元にいる方であっても、
親が死ぬに死ねないと思うのは、子供が自分の人生を生きていない時です。
実際は、子供が自分の人生を悔いている事に気づいていない親もいるでしょう。
それでも、自分の人生に不満だと、どこか不機嫌な様子が伝わります。
あんたのせいで、自分はこうなったんだ。
こんな生き方しかできないんだ。
そんな気持を隠しきれるものではありません。
最後の最後に恨み言を言いたい方は、それはそれでしかたがないのかもしれません。
それでも、最後位は、気持よく送りたいのなら、自分の人生を認める事が先です。
おかげさまで、と思えるに越した事はないでしょうが、
こんな親なのに良くやってきたな、といった程度でも構わないような気がします。
感謝と恨みを切り分ける
親には感謝しかない、という方はまれです。
傷つけられた事がない人がいるのでしょうか。
良い思い出が沸いてきて暖かい気持になる事もあれば、
理不尽な叱られようをした事や、こまごまと指示・支配された事を思い出しては怒りが沸いてくる。
親を怨むのは、虐待されて育った人には限りません。
むしろ、多かれ少なかれ恨みの気持もあると思った方が良いようです。
これは、両方の気持を認めてやるのが良いと思います。
恨みがましい思い出があるから恨むというのは大人げないような気がしますし
感謝すべきだと思って感謝だけを意識するのは、ちょっと無理があるような気がします。
両方の思いがあるけど、この時点では感謝にフォーカスしよう、といった所が良いのではないでしょうか。
せっかくなので言葉にする
ここまででくれば、自然に感謝の言葉を口にする事ができるのではないでしょうか。
ありがとう。
お母さんの、お父さんの子供で良かった。
人生の最後に心から、そんな言葉を贈れる事は、親子双方に幸せな事だと思います。
それは、ちょっと盛りすぎ、と思うなら無理はしない事です。
死に近い親の枕元で、あんな事もあったね、と暖かい思い出を語る事ができれば充分ではないでしょうか。
病院勤めの頃、終末期の方のご家族に、こんな場所にいるのは嫌でしょ、と言われた事がありますが、
私は嫌だと思った事はありません。
些細な恨み言が払拭されて、暖かい物が流れる場面をみる事の方が多かったからです。
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