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期待してたのに 期待は迷惑と言われた 人に期待しない方が良いのか

期待してたのに 期待は迷惑と言われた 人に期待しない方が良いのか

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

期待して大事にしていた人に、期待されるなんて迷惑だと言われて腹立たしい思いでおられる方。

親子の関係ではしばしばありますし、職場では直接言われないものの他のスタッフを通してそんな話が入ったきた、という管理者の方の話を聞きます。

期待すれば、それなりに相手の助けになるように振る舞うものなのに、なぜ、そんな言われ方をしなければならないのか。

腹立たしい思いもわかりますが、ちょっと相手に言い分を聞いてみる事で、新しい展開があるかもしれません。

期待が迷惑な時

勝手に期待して、迷惑なんだよ!と言われたから、カチンとくのはよくわかりますが、期待が重いんだよ、と言われれば伝わるものもあるのではないでしょうか?

期待が重荷になる時は、大きく二つの場合があると思います。

一つは、期待する水準まで、自分が行きつく自信がない場合。
もう一つは、期待される方向が、自分が期待して欲しい方向とずれている時。

アスリートであっても、金メダルを当然のように期待されるのは辛いものではないでしょうか。
自分が人生をかけて取り組んできた物で、そこに近い所まで来ている自分に誇りを持っていても、そんなものだと思います。

親子で共有した事であっても、望む大学に入って欲しい、という期待をかけられれば、ありがたいより、重いと感じられるのも当然かもしれません。

管理者として、数十人、数百人を束ねる事を期待される。組織人としては、誇らしい事かもしれません。
ゆだねていただけるのはありがたい事ではあるのですが、辛さが先に立つ。
何とか逃げないで踏み留まっている時に、期待しているという追い打ちまでかけないで欲しい。

期待されている事と、自分が望む方向性が違うならなおの事です。

一流企業に入る事を期待している親と、作家になりたい子供ならまだ、づれに気づく事はできるかもしれません。

医者になって親の医院をついで欲しい親と、医学部に入ったけれど大学に残りたい子供。
大手企業の管理者になって欲しい親と、現場でコツコツやっていきたい子供。

傍からみれば、大した違いではない。親の期待にも充分応えているようにみえても、当事者どうしはそうではありません。
自分の望む方向に、もっともっとと望まれるのは、たまったものではありません。

勝手に期待しないで欲しい。
期待するなら、自分がやりたい、やろうとしている所を認めてその部分にして欲しい。

痛いような叫びに耳を傾けても良いのかもしれません。

期待より、応援

自分の期待を、ちょっと脇に置いて、当事者が努力している部分を応援するという発想はどうでしょうか。

組織であれば、本人が望まない仕事を課す事は当然のようにあります。

仕事だから、という思いで引き受けて、嫌々ながらやっている時、期待してるよ、という言葉は空回りするかもしれません。

それでも、引き受けた事を応援して欲しいものではないでしょうか。

一流大学、一流企業に執着があるわけではないけれど、将来を考えれば大学に行っておくに越した事はない。
そんな気持で、何とか受験に向き合っている時でも、そこを応援されれば嬉しいものです。

期待には、これだけ期待しているのだから、応え欲しいという、恩着せがましい所がついてきます。
それが、期待は迷惑、という言葉に繋がっているような気がします。

応援は、勝手にさせてもらうものです。
してもらえば嬉しいけれど、そこに応える義務はありません。
だからありがたいのです。

みかえりを求めないというと、倫理観の話になりそうですが、
かかわるプロセスを楽しませてもらうような発想が双方に良いように思います。

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