カウンセリング 関心はある が 自分の事を話すのは 嫌 怖い 抵抗がある
- 2018.11.05
- 私のカウンセリング
看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子です。
カウンセリングなる物を受けてみたい。
自分の気持が少しでも軽くなるのなら、相談してみたい気持もあるけれど、どうも抵抗がある。そんな方は珍しくありません。
私自身がそうでした。
信頼できる複数の先生を持ち、カウンセリングで解消できる事が沢山ある事を経験してきた。
だからできる事もあると、現場を持たせていただいて、多くの人と悩みを共有しながら、一緒に先に行く事を経験してきた。
そんな今でも、その気持が完全になくなったわけではありません。
だからこそ、わかる事もあると思っています。
話せない事があっても良い
WEB上の相談室では、生々しい話が出てきます。
性的な虐待を受けた、中高生で妊娠した・・
全部な本当の事かどうかわかりませんが、相互に顔も知らないそんな場所だから言える事があっても良いと思います。
ただ、カウンセリングは一対一でカウンセラーを通して自分と向き合う場です。
この人に聴いてもらいたい事がある一方で、この人には話したくない事もあるでしょう。好き嫌いではありません。恋愛と同じで好きだから話して良いと思う事もあれば、好きだからら言いたくない事もあるのです。
本来のカウンセリング関係は問題を真ん中に置いて、カウンセラーとクライアントが話し合うのが良いとされています。医師を信頼して身体を見せるように淡々と状況も思いも話せば良いのですが、そう教科書どうりにはいきません。
この人なら言える言えない
このカウンセラーは怖い
このカウンセラーには甘えたい
といった事は起こってきます。
この人には話せない事があるのは、自然な事なのです。
人が変われば話せる事もありますし、誰にも言いたくない事もあります。
それはあたり前の事で、話して良い気持ちにさせてくれるかは、カウンセラーの力量位に思っていて良いのです。
どこまで話すかを吟味する
この人にどこまで話すかを、継続的なカウンセリングが始まる前に、自分なりに考えておきたいと思う方もおられるでしょう。
そんな方は、問い合わせの時や初回のカウンセリングの冒頭で、話したくない事、話せそうがない事もあると話しみてください。
あなたのタイミングで良いのです、と言ってもらえるカウンセラーを選ぶのが良いと思います。
話さなくて良いと言うのとは、少し違います。
本来のカウンセリングの中では、話してもらったほうが方が良いのだけど、今でなくて良いし、相手は自分でなくてもくても良いと言ってもらえる人が良いと思います。
相性もありますが、自分のペースでセッションを進めようとするのは、カウンセラーの未熟さの時が多いです。
事象は話せなくても
本当はカウンセリングの中で、小さな事でも、具体的な事象が話せた方が良いです。
人は同じパターンを繰り返しています。
本当に小さな事でも、具体的な事が出てきた方がカウンセリングは、有益なものになる事が多いです。
それでも、話したくない事を具体的に言わなければならにあわないわけではありません。
義兄に性的な虐待を受けたと言った事は、リアルに思い出したくないし。言葉にするのもおぞまし事でしょう。
それでも、それが大切な事だと思うなら、抽象的に話せればいいと思います。思春期に身内とセクシャルな事で嫌な思いをした、と言えれば充分です。
察しの良いカウンセラーなら、充分にわかってくれるし、そのままで処理してくれます。
ただ、自分は、何を扱ってもらっているかは。わかっていた方が良いです。
怒りなのか、悲しみなのか、屈辱感なのか。どれもあるけど何から解消したいかといった事です。これは慣れないうちは一人では難しいかもしれないですが、カウンセラーが整理する手伝ってをしてくれます。
話せただけでスッキリする事もありますが、表層的な事が多いです。
怒りを感じきり、悲しみが癒され、自尊心を取り戻すまでには、一定の時間がかかります。
カタルシスと言われる話してスッキリした気持ちはカウンセリングの極一部でしかありません。
自分には正直に
話せない、話したくない。当然あって良いのですが、その気持ちには正直であった方が良いと思います。
カウンセラーに嘘をついても嘘だという事はすぐにわかります。
その裏の本当のことがわかるわけではないのですが、よほど言いにくい事があるのだろといった事はわかります。
黙って見ていてくれる事もありますし、向き合って見ませんかと提案される事もあるでしょう。
今はまだその気になれないなら、なれないで良いと思います。
ただ、話したくない気持ちを、自分には何でもない事だ、とすり替えない方が良いと思います。
掘り下げれげようとすれば、話題はあるけど、今の生活を脅かすように辛い思いが蘇るわけではないから、自分は取り組みたくないというなら、それはそれで良いでしょう。
自分をみていく事はカウンセラー志望なら、目の前の問題のあるなしに関わらず必要になる事ですが、すべての人がそうしなければならない訳ではありません。
自分が楽になりさえすれば良いのです。
話す事の価値
傾聴の効果のようなものは、また、改めて書く事にして、話をする価値をちょっと考えてみたいと思います。
よく言われるカタルシスも代表的な物ですが、それに加えて言葉にする事ではっきりする事が多いと思います。
どこかではわかっていた事を、言葉にしてみて、初めて自分はこんな事を考えていたのだと気づく事があります。上手く言葉にならない事を言葉にしてみようと努力してみる事は意味があります。
自分とは別の考え、感覚に自分をさらす事も良い刺激になります。
傾聴のトレーニングでは、共感が強調されます。信頼関係を築いたり、心が弱っている人には共感が必要ですが、共感してもらう事ばかりが大切なわけではありません。
友人のアドバイスと重なる点もあると思いますが、大きく異なるのは、自分の考え方の枠組み以外の枠組みを提案してもらえる事です。
こんな方向から物を見たり考えたりする事もできるのでは、と提示された方向からとりあえず物をみてみて、自分にどう見えたかを言葉にしてみるといった感じでしょうか。
その立ち位置でなければならないという意味ではありません。
こういう風にみる事もできるのだな、といった受け止め方ができると、選択肢が増えて行きます。
カウンセリングは怖い?
ずけずけと人の内面に断りもなしに踏み込んでくるカウンセラーもいないわけではありませんが、怖いと感じる気持ちの大部分は自分を見ていく事への抵抗だと思います。
しまっておいた物と向き合う事には抵抗があるかもしれません。すべての人がそれをやらなければならないわけでもありません。
ただ、それが、自分の考え方や行動の癖に繋がって、そのせいで生きずらいと感じるようでしたら、取り組んでみられるもの良いかもしれません。
ほろ苦い思いをする事はあっても、カウンセリングは苦行ではありません。
楽に生きる事を手伝う、一つの手法にすぎないのです。
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