許すべき 許したいけど 許せない 愛憎 頭と心の葛藤
- 2018.10.22
- コミュニケーション 自分との対話 自分育て
看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子です。
ご相談の中でよく見られるのは、頭ではわかっているけれども心が納得していないといったような状態です。
これを、頭と気持ちが喧嘩をする、と表現したクライアントさんがおられて、うまい事を言うと感心した物です。
葛藤は物事を選択する時にもおこりますが、頭と心が喧嘩をしている事もあります。
~~スベキだと思うけど、~~したくない
典型的なのは、許しを巡る葛藤です。
頭と気持ちが喧嘩をするとは
親がイライラしている事が多く、親の気分で手を挙げられる事も珍しくなかったような方。
虐待されたわけではない。親も一杯一杯の中で大切に育てようとしてくれたのだ、と頭ではわかる。
それでも、親の顔色が常に気になっていた自分を思うと、未だに惨めな気持ちになる。
殴られた時を思い出すと、怖さと怒り、殺意のような物を感じる。
入社まもないころ、先輩から嫌味まじりの指摘を受けた。確かに自分が行き届いていなかったことは今になると良くわかる。
それでも思い出すと憎しみのような感情しかわいてこない。
自分も後輩の指導を任される身になってみると、扱いにくい新人だったのだろうと申し訳ない気持ちにもなる。
それでも、あんな言い方はないだろうという思いは否めない。
いずれも、理屈ではわかるけど、気持ちは納得していない状態です。
頭と気持ちが喧嘩をしたらまず気持の肩を持つ
頭と気持ちが喧嘩をしたら、とにかく、気持ちが肩入れしてやる事です。
下手に理屈で納得しようとすると、納得できなかった感情が自分の中で暴れます。
最初は理屈抜きに自分の気持ちに肩入れしてやることです。
それは悲しかったね、腹が立つよねと自分の気持に言ってやる事です。
それでは理屈が通らないと思うかもしれませんが、理屈の方が力を持っているから、ここではあえて気持のほうに味方をするのです。
気持の肩を持つのが怖いと言われる方もいらっしゃいます。
下手に怒りの肩を持つと、怒りが自分の殻を破って飛び出しそうだから怖いとおしゃる事もありますが、決してそんな事はありません。
感情は小さな子どものようなもの、利かん気ではあるけど、甘えん坊です。しっかり味方してやると落ち着いてきます。
ダダをこねてバタバタしてる子ども、ぐすり泣きをしてる子供を宥めるようなイメージです。
間違っても引っ叩いてはいけません。余計、大泣きするだけです。
小さな子供が喧嘩をして泣いて帰ってきたら、理屈抜きに悔しかったね、悲しかったねと言ってやる事が先です。
お前が我儘だからこんな事になるんだとか、相手の気持も理解しろとかは、言うにしても泣き止んで、耳を傾ける余裕ができてからの話です。
今の自分は違う事をしっかり認識する
当時の自分は小さくて何も言えなかったし、責められてしかたがない面もあったかもしれない。
それでも、今の自分は当時とは違う事をしっかり認識するのです。
当時の自分のイメージに捕らわれて、うじうじしてはいけません。
反省はしつくしていると思います。それ以上、自分を責める事は、相手への憎しみを増幅するだけです。
自分を苦しめている相手がよけい憎くなるのは、理にかなった話です。
相手にしっかり反論してみる
今の自分が、当時の相手にしっかり反論してみる事も役にたちます。
相手に対して言葉にする事はまだまだ怖い。
相手がそれに対して反論してくる事を考えると、生きた心地がしないという方もおられるでしょう。
相手に言うか言わないか、この段階で考える必要はありません。
ただ、自分が本当は相手に何を言いたいかを考えて、言葉にしてみるのです。
心の中でつぶやくのではなく、目の前に、相手がいるように想定して、言葉にしてみるのが良いです。
ゲシュタルト療法では、目の前に誰も座っていない椅子を置いて、イメージの中でそこに相手を座らせてみるといった事をします。
ファシリテーターがいた方が勧めやすいですが、一人でもできます。
「お母さん、あなたは期待して大切に育てたつもりかもしれないけど、その勝手な期待が私をどんなに苦しめてきたか知っているの?」
「大切だと思った事はわかっているけど、それで許してくれというのは卑怯だと思う」
「先輩、社会の約束事はまだまだわからなかったけど、一所懸命やっていこうとしている私をやる気がないように言い放たれた事は忘れません」
「そこから、仕事へのやる気をそがれて随分遠回りをさせられた事は許せない」
そのころの先輩の年齢を超え、親の年齢を超えてみると、相手の立場がわからなくもないのです。
それでも、そこは置いて正直な恨みつらみを言葉にしてみる。
若くて、未熟で、それでもひたむきだった当時の自分にそれを理解しろというのは酷な事です。
大人とか、社会とか、常識とか、そんな物が攻め立ててくる中で、自分を守ってやるのは自分しかなかったのです。
年を重ねたからといって、そんな自分を責める必要はありません。
いろいろあったけど、頑張ってここまできたね。
よくやってきたね、と言ってやれば良いのです。
傷ついた自分が癒されてきて初めて、すでに自分より小さくなってしまった相手の事を許す事もできます。
権威者だった相手が小さく見えてくるのは、それはそれで寂しい事でもあります。
許す事を急ぐ必要はない
あんなに大きくて、怖くて、怖いけど立派にみえた人が、老いて小さくなっている事を受け入れる。
あの時だって、あれがこの人の精一杯だったのだと思えてくる。
納得しようとするのではなく、納得せざる負えなくなる。
それはそれで、痛みがあります。
頭で納得しようと葛藤していた時期が懐かしいような、あの時代が良かったと思えるような寂しさを感じたりします。
成長していく事には、そんな側面もあるように思います。
急いで、そこい行きつこうとする必要はないように思います。
抱えているのが、辛くなった時に、そんな段取りを踏むと手放していけるので、頭の隅に置いていただくのも良いと思ってお伝えしてみました。
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