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人の悪口を言いたくないが言ってしまう 悪口ではなく人を動かす方法

人の悪口を言いたくないが言ってしまう 悪口ではなく人を動かす方法

看護師・心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。

年中人の悪口を言っている人もいれば、悪口は絶対に言わないという方もいらっしゃいます。

これは、まわりの環境による所もありますが、自分の性格、状況のとらえ方にもよるようです。

なぜ、悪口、陰口を言いたくなるのか。
悪口以外に問題を解決する方法はないのか。
そんな事も含めて、考えてみたいと思います。

悪口を言う人が 意外に嫌われないのはなぜか

人の悪口にもいろいろあって、まわりもそこに共感して、悪口で盛り上がる事もあれば、悪口を言った人が浮いてしまう事もあります。
どうしてでしょうね?
私の解釈では、悪口はルール違反への反応のような気がします。

ルールは、その仲間内や、職場などのルールの場合もありますし、悪口を言う人個人のルールの場合もあります。

どちらにしても、そこで正しいとされる決まりがあって、そこに添えない人が悪口の対象になるようです。
「正しいとされる決まり」は正しい事と同じではありません。
あくまで、そこで正しいとされる事です。

職場のルールであれば、まわりもそこに共感しやすいので、その場全体でその人の悪口で盛り上がる事もあります。
新人で仕事もできないのに、実社会のルールがわかっていない勝手な判断をするとか、礼儀を知らないなどは恰好の悪口の対象です。
子供の虐めなども、主導権を握った子供のルールがあって、そこに添えるかどうかが、関係しているように思います。

単に、自分の好き嫌いで悪口を言う人は嫌われますが、意外に人の悪口ばかり言っている人が人気者である事もあります。
これは、誰もがそこのルールに嫌々でもしたがっている状況の中で、それに添わない人を批判する事は
自分の言いたい事を代弁してもらっているように思えるからではないでしょうか。

私だって、そんなルールは無視したいのだけど、無視できない。
本当は無視したいから無視している人を批判するのも違和感がある。
そんな時に、批判してくれる人がいるのは、ちょっと嬉しい物ではないでしょうか?
自分は悪口を言う嫌な人にならないで、自分の気持を言ってもらっているのですから、それは自然な反応だと思います。

逆に、自分が努力している時に、充分な結果は出せていない時、同じように努力している人の悪口を言われると、嫌な気持ちになります。
たとえそれが、そのチームの仕事の水準に達していないといった話でも、自分の言動を批判されたように感じるでしょう。

人の悪口に過剰に反応する時 自分の気持を振り返る

一般的に自分に余裕がある時は、人の悪口も聴き流せるものではないでしょうか?
たとえ、自分の悪口を言われている事を小耳に挟んでも、また言ってら~、みたいな受け止めもできます。

自分の価値観にそぐわない事は、切り捨ててしまえる気の毒な人、といった、見方もできます。
それは一定当たっているし、概ねそんな解釈で良いのだと思います。

むしろ、ちょっとした悪口を耳にすると「人の悪口なんて、絶対に言ってはいけないのに、悪口ばかり言う問題のある人」
みたいな見方になってしまう人の方が気になります。
その考え自体が、人を批判している事に気づかずに、口に出す出さないは別にしても、心の中では人の悪口を言っているような物です。

人の悪口を言う事を積極的に推奨するわけではないのですが、人の悪口に過剰に反応する時は、自分の中にも悪口を言いたい気持があります。
これは認めにくい事ですが、認めてやった方がよさそうです。
言いたい気持を抑えているので、言える人に対して「悪口ばかり言って!」と過敏になる事は、結構あります。

別に、悪口の仲間になれと言っているのではありません。
自分も同じように、悪口を言いたいのに、言わないですませている。
なかなか人間ができている、と自画自賛してやるのも良いでしょう。
そうすると自分の気持も収まってきますし、悪口を言う人を苦笑いで見ている事ができるようになります。

悪口を言いたい気持がある。結果として悪口を言わない。
同じではないかと思う方もおられるかもしれませんが、本当の気持を認めながら行動を決める事は心理療法的には大切にされる立ち位置です。

悪口を言いたい自分の気持に気づいて、受け入れている状態。
悪口を言う人に対して批判的な思いになった事も、なかった事にしないで、上手に処理ができている状態です。

悪口はルールに乗っ取っていう

悪口を言う時、人は何を期待しているのでしょうか?

相手をコテンパンにしてやりたい、という方もおられるかもしれません。
しかし大部分は、相手を傷つける事自体を目的にしているわけではありません。
自分に賛同して欲しい、自分の味方が欲しいという感じの方が強いような気がします。
それなら、その気持に素直になるのも良いでしょう。

相手を打ちのめしたいような思いで、聞こえよがしの言動をとると、なんらかの報復は覚悟しておかなければなりません。

自分の気持に賛同して欲しいのであれば、原則として、悪口は全く関係がない所で言う方が良いのです。
親族の悪口なら、個人的な友達や仕事仲間に言う。仕事上の関係者の悪口なら仕事が絡まない友達に言うのです。

これで一定、気持は収まります。
それでは、相手が変わってくれないので、意味がないと思われる方は、悪口で人を変えるのは無理だと腹を括った方が良いです。

時間はかかりますが、相手を動かすコミニュケーションを学べば、問題は解決します。

人の悪口を言う人が、人気がある場合もあるのは確かなのですが、それはあくまで、自分が安全な所に居て言いにくい事を代弁してくれるからです。
悪口を言っておいて、あなたも同じ考えよね、と言う人もいますが、その場ではうなずいてもらったにしても早晩孤立します。

聞こえよがしの悪口は悪口のルール違反。自分に返ってくる事は、頭に置いておいてください。

本当に人を動かしたいなら 丁寧なコミニュケーションが必要

影で悪口を言っているのも、気持が悪いし、相手が変わるわけではない。
何とか、自分が望む方向に相手に動いて欲しいというのは、もっともな欲求です。

ただ、その為には、少し手順は学んでおいた方が良いでしょう。
ストレートに、こうして欲しいといっても伝わりにくいからです。
悪口になってしまうのは、こんな方法で、人が動いてくれなかった結果でもあります。

人を動かすには、まず、相手に何を期待するかを、自分の中ではっきりさせなければなりません。

相手の言動の気に入らない所を、その人がああしたこうした、と言い募る人でも、相手にどう動いてほしいのか、よくわかっていない事はよくあります。
たとえ第三者に言うにしても、こんな時、こうやって欲しいのよね、みたいな所まで、整理してみると良いでしょう。
思いやりを持って欲しいとか、こう考えて欲しいとかではまだ抽象的です。
こんな時、こう動いて欲しいという行動まで、自分の中で言える状態にしてみるのです。
なぜそうして欲しいのか、は自分ではわかっていた方が良いですが、最初は自分でもつかみにくいかもしれません。

どうして欲しいかが整理できたら、相手にどうすれば、それが伝わるか考えてみる。
できないのは、スキルの問題なのか、やろうとする姿勢がないからか。そんな事を考えながら、足りていない所を埋めていくのです。
スキルは教えればすみますが、新入社員の勤怠などは、仕事とは学生気分でいては成り立たない事から教えなければなりません。
手取り足取りになるので、結構、忍耐が必要かもしれません。

それでも、悪口陰口よりも人を動かずコミニュケーションを勧めるのは、それが正しいとか、立派だからとかいう理由ではありません。
結局それが、早いからです。

人の悪口は言いたくないけれど、悪口を言いたい気持は山程ある。悪口に内心賛同しているけれども、その先に何もない事はわかっている。
そんな方は、ちょっと手間は掛かりますが、この、何を言いたいかをはっきりさせて、伝わる方法を考える、という手順を踏んでいただきたいと思います。

私は悪口、陰口は愚痴を言う事を否定するものではありません。
言わずにはいられない事も沢山あるのが、組織の中で働いていく事なのだという事は体で知っています。

ただ、本当に相手を変えるのは悪口、陰口では無理がある事も念頭に置いていただければと思います。

悪口を言う人が案外嫌われない何故か 悪口も言えた方がよいのか

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