親からちゃんと自立する 嫌い うざい 支配されたくないなら
- 2019.02.11
- 親子の関係
看護師 心理カウンセラーの渡辺由紀子と言います。
思春期以降のお子さんで、
親がうっとおしい、嫌いという方は珍しくありません。
虐待されて育った、やっと家を出てきた
今後いっさい関わりを持つつもりはない
と言う所まで割り切れるっている方もいらっしゃいます。
そこには寂しさはあるにしても
一定すっきりとした決断が見受けられます。
うざいと言いながら、言うことに甘えている子もいます。
その中でも、虐待されて育ったわけではないのに、
どうして親のことが好きになれないのだろうと悩み、
嫌いである事に罪悪感があるからこそちゃんと自立したいという方へ
どう進めていたら良いかというお話しをしてみたいと思います。
ほとんど、私自身の生の体験からの実感です。
親が鬱陶しいという話になると
セラピストの中には自立していないことを指摘して
早急に家を出ることを勧めると言った方もおられるようです。
これは完全に間違いだとは言えませんが、
そう簡単に進めて良いとは限りません。
一人暮らしをするための十分な経済力がある。
そんな条件が揃っていれば家を出ることを
決断するのも良いかもしれません。
しかし部屋を借りるお金をどう捻出して良いかわからない、
生活と言うものにどの程度お金がかかるかイメージできない
一定の収入を得ているのだけれど
暮らしにはお小遣いで使うお金と違うお金が必要
といったことを漠然と知っているだけ。
こんな方は親をどう説得するかとか、
家を飛び出してしまうなどを考える以前に
1人で暮らすことのイメージを膨らませ
お金のことも含めて生活設計を立ててみることが必要です。
当座のお金を持って家を飛び出して
しばらく友人の家などを渡り歩いて、
先行きが見えなくなったら実家に帰ると言うのでは
自立したと言うことにならないでしょう。
私がセッションの中でまずお勧めしているのは
私は私、お母さんの思う通りにはならない
といったことをつぶやいてみることです。
最初は抵抗があって言葉にならない場合もあります。
心の中でつぶやくことから始めていただき、
やがては大きな声でも言えるようになります。
自分の奥にある気持ちとつながってきたところでやっと
それでは自分がどうやって行きたいのだろう
という所に話を進めます。
それでも、嫌いだけど、
親の気持ちを大事にするということの比重が
高い方もいらっしゃいます。
それは悪いことではなく
その気持ちが高い方にはその大切さを大事します。
なんだか反発する気持ちばかり強くて
何をしたいかがよく見えていない
と言う方もいらっしゃいます。
ゆっくりどんなことが自分にとって大切なのかを
伺っていきます。
どんなな感覚を大事にしたいのか
何を大切に生きていきたいのかといったことを
分かち合っていきます。
好きなことをやりたい気持ちの一方で、
しっかりした自分の暮らしを築きたいと言う方。
こういう方に接する時は安心してセッションを進めることができます
自分がそんなに嫌でないことの中で
続けてやっていけそうなことを選びとって生業としていく。
夢を売ることに価値を感じる方々から見ると、
人生を限定してしまっているように聞こえるかもしれません。
しかしまず暮らしがあえい、そこへの安心感があって夢や楽しみ重ねるというのが
健康なことではないかと思います。
仕事はどれくらい好きかではなく
嫌いな側面苦手な側面が極端に大きくない事を基準に
選べればそれで良いのかもしれません。
一生と言うのは縛りすぎかもしれませんが、
何かしら長く働いて自分なりに積み重ねていくことができるような仕事を選択することが、
親離れの第一歩のような気がします。
親が口を出す、鬱陶しくて仕方がないという方。
都合のいい時だけ親を使っていないでしょうか?
こちらが困った時は手を貸せ、
口は一切出すなというのは、
フェアな関係にはありえません。
大人としてみて欲しいのであれば、
頼む時の礼節は大切です。
自分のやろうとしている事を丁寧に伝える事は
近い関係でも必須。
親が本当にうっとおしいのであれば、
関係を断つ事もは否定しません。
ただ、援助はしてほしい、
口は出して欲しくないというのは無理があります。
倫理で言っているわけではないのです、
スポンサーにお金を出してもらう為に
どれだけのエネルギーを割くでしょうか。
あなたにも利益がある事を
納得してもらうように尽力しますよね。
親だから、そこは無条件に、というのは
甘えではないでしょうか。
甘えを甘えと自覚しているのなら、
甘えが悪いわけではありません。
ただ、親は子供がかわいいのがあたり前、
援助させてあげるような感覚だとずれてきます。
援助する物は、自分の方法で援助して感謝をされたいのです。
それはそれで勝手な論理なので、拒否するのはかまいません。
あなたが私を操作しようとして提供しようとする物など、
一切に必要としません、というもの潔い態度です。
一方で、甘えたいのなら、甘えるものありだと思います。
こうやってみたいのだけど、助けてもらえますか?
自分の頑張りでここまでは行けると思うので、それは頑張ります。
後は天に任せるような所もあるけど、できるだけ迷惑はかけません。
うまくいったらこれ位は還元させてもらえると思います。
親を相手に水臭いと思われるでしょうか?
しかし、親とうまくやっている、と言われる方が
意図的であれ無意識であれやっているのはそんな事です。
ほどほどの距離を置きながら、うまくやっていくか、
生生しい喧嘩をしながらの関係を大切にするか、どちらを選んでも構わないのです。
親が嫌い、と言いながら、親との濃密な関係を期待している方、多いですね。
無条件に大事にして、口ははさまず援助してくれない、
だから、親が嫌い。
ちょっと子供もっぽいような気がします。
毒親という言葉がはやった事もありました。
粘りつくような親の情を断ち切る為に、
ある段階では毒親という言葉を使っていただくのも良いでしょう。
ただ、断ち切るのなら、おいしい所を無条件に提供されたい
と思う気持も断ち切るのがフェアではないでしょうか。
親の立場であれば、子供の喜ぶ口当たりの良い物を提供して、
子供をつなぎ留めたい気持を断ち切るのです。
少し水臭く、だからこそ、程よい距離で助けあっていく。
助けてあげるでもない、無条件にやってもらって当然でもない関係を
親子双方から築いていく。
親子という関係に甘えてしまわない関係を作っていくもの悪くないと思いませんか。
こんな事を書きながら、親が嫌いだと口にできる人に
嫉妬のような感覚がある事に思いいたります。
親が嫌いと言ってしまったら、完全に関係が切れてしまうような恐怖感。
親なりに愛してもらった事は痛いようにわかるので、応えられなかった事への罪悪感。
私はそんな物をずっと抱えて生きてきたように思います。
素朴にまつわりついて欲しいのにそれができない母子関係の切なさを、
子供の対場からも親の立場からも経験してきたように思います。
それでも・・
だからこそ、親も子も双方が自分の足で立って、その上での関係を築いていけたらと思うのです。
家を出てきたからには、都合の良い時だけ頼らなかった自分も
捨てた子と思って宛てにしないで50代から一人で生きた母親も
褒めてやりたいと思います。
身の回りの事にも手をかりなければならない乳幼児期、
経済的な助けが必要な10代まで。
年を重ねるとまた、同じ道を通っていきます。
生んでやったとか、生まれたくて生まれたのではないから育ててもらって当然
という所に立つのもどんな物かと思いますが、
頼んで生んでもらったわけではない、思うようにしようと思うのはとんでもない、
と主張するのなら、子供の側は親に頼らずにすむ生活の基盤を作っていく。
親は自分の人生の後始末をこれから自分の人生を切り開こうとしている子どもにできるだけゆだねない。
そんな覚悟だけは持っておきたいと思うのです。
程よい距離感のある良い親子関係。
双方の確かな人生はその上に築かれていくように思うのです。
精神的な自立、という所には
あえてフォーカスしませんでした。
暮らしの基盤があっての精神的な自立だと思うのですが、
また、どこかで改めて書いてみたいと思います。
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