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承認欲求 認められたくて無理をする 自分で自分を認められない

承認欲求 認められたくて無理をする 自分で自分を認められない

人の役に立ちたいと思う気持ちは悪いことではありません。

人の役に立つ事で認めてもらいたい気持ちは、多かれ少なかれ誰でもがもっている事だと思います。

認めてもらいたいから人の役に立つ事をするのはおかしい、という言い方もありますが、私はそれはそれであって良いと思います。

認められたくて良い事をするのはおかしいと言いたがる人も方が、屈折していると思います。

承認欲求は基本的に健康なものです。

しかし、この人の役に立ちたい気持ちの裏に、そうしないと自分は認められないという思いが隠れていると、ちょっと厄介なことになります。自分で自分を認められないのは問題です。

自分で自分を認められないのはなぜ問題か

人に認められたい気持は健康と言っておきながら、人の役に立たないと自分を認められない、自分で自分を認められないのは問題なのか?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

言葉の遊びのようですが、結構大切な事をお話ししているつもりですので、少しでも思いあたる方は、読み進めてください。

人の役に立たないと自分を認められない事が、何故問題なのでしょうか。

シンプルに言ってしまえば、自分の評価を人にゆだねてしまっている事が問題なのです。

こんな方は、自己肯定感が低いのです。

自己肯定感、という言葉は、このごろでこそ、肯定的に使われるようになりましたが、自分を成長させる為には自己否定が必要と言われた時代もあったのです。

そんな時代に育った方は、自己肯定など、ただのうぬぼれといったイメージを持っています。
私も世代的にはそちらに属するので、その思考過程はよくわかります。

人に認められてなんぼ、なのです。

こんな思考過程も、自分の頑張りと、人の評価が一致している時は、問題は表には出てきません。

気になるのは、自分は極限まで頑張っているのに、思うような評価が得られなかった時です。

心が健康な方であれば、自分はやる事はやった、という所で納得できます。認めないのは、相手の問題なのだから、認められるられないはどちらでも良い。
自分を重用しないのはもったいない、位に思って悠然と構えていられます。

しかし、自分で自分を認められないと、人の評価を得ようと、無理を重ねてしまいます。

体を酷使し、相手が求める自分になれない自分を責め続けると、ストレスはマックスです。

仕事の場などでは、会社からそんなプレシャーがかかる事もあります。
まだまだ、認めるには足りないと言って、過重労働を強いるのは日常的な事かもしれません。

そんな時も、本当なら、自分は精一杯やっています、これ以上は無理ですと逃げた方が良いのです。
しかし、それができる人はまれです。
むしろ無理を重ねて成果をだそうとしてしまいます。

高じると、成果は後において、これくらい無理をしているのですから、そこを認めてくださいと懇願するような状態になりかねません。

メンタル不調の一番の原因はこのあたりにありそうです。

お勤めなどで、そとからプレッシャーがかからない状況でも同じような事はおきてきます。

子育て中の人は、なかなか人から認めてもらう機会がありません。子供は可愛くて当然。子育てに専念できるのは、幸せな事だという社会通念があります。

子供は本来、手はかかるし、我儘なもの。子育てはストレスが大きな仕事なのに、周囲は認めてくれません。

そんな時に、自分で自分を良くやっていると思えると、子供にも自然な笑顔を向ける事ができます。

誰にも認めてもらっていないといった気持ちが強いと、子供のちょっとした我儘にひどくイラついたり、何とか人も認めてくれる良い子に育てようと余分なプレッシャーをかけてしまします。

子供もたまったものではありませんが、親を責めて心構えを変えさせようとしても無理があります。親にもサポートが必要なのです。

こんな時は、自分で自分をねぎらっていくよう教えてあげる事が必要になります。
最初は自分で自分を労うのは難しいので、自助グループの先輩などから、サポートしてもらうのが良いと思います。

本当に大変な時は、カウンセラーなどを使っていただくのが良いのですが、有料のセッションを受け続けるのは金銭面などの負担がかかります。
身近にサポートを受けられる人を見つけられるのが理想です。

認められたくて人の役にたとうするのは押し売り

人の役にたって、認められたがるのはOK
認められたくて、人の役にたとうとするのはNG

何だか、キツネにつままれたような気分になるかもしれませんが、ここには大きな違いがあります。

良い仕事ができた、誰か認めてくれないかな、と思う時は、まず自分で自分の仕事にOKが出せています。

認められたくて、人の役にたとうとする時は、自分で自分を満たす事ができないので、人に認められる事で、その空白を埋めようとしています。

頼られる事に頼る、共依存に近いものがあります。
アルコール中毒の夫の為に、酒を買いに走る依存症のカップルの例がよく引かれますが、通常の人間関係の中でもよくみられます。

どこからが病的かは、一言では言えませんが、あまり良いパターンではないという事は自覚している方が良さそうです。

人の役に立つ事をして、認められなかった時は落胆ですが、
認められたくて人の役に立とうとして認められなかった時に感じるのは恨み。

良い商品を売って、喜ばれる事を期待していたが無反応だった事と
押し売りした商品を喜ばれる事を期待する事くらいの違いがあります。

この違いは感じていただけるのではないでしょうか。

自分の事は自分で認める

人に認められる事で、自分を認めようとする人は、まず自分で自分を認めてやる事が大切です。

人に認められたい場合でも、ここを省いてはいけません。

自分も認められない自分を人に認めさせようとするのは、横着です。

こんな自分を自分は認められないと思うのなら、人はよけい認めてくれる事はないという事を自覚する事が必要になってきます。

これは痛みを伴うプロセスかもしれません。

それでも、自分が認められない自分を自分自身が認められるようにしていくのは、そんなに難しい事ではありません。

まず、振る舞い方をかえてみると周囲の反応もかわってきます。
自分がイメージする理想の自分を演じてみる事です。

威圧的に人に接していた人が、柔らかい物腰で物を言う。
うじうじ下を向いていた人が、語尾まではっきりした物の言い方をする。
ちょっと勇気は必要かもしれませんが、やると決めればそんなに難しい事ではありません。

自分の能力に不足を感じて、自分を認められない方ならば、仕事などの能力は人を計るほんの一部にすぎない事を思い出すのが良いと思います。

職場は契約による狭い世界です。
特定の能力を発揮して、給料に見合う事をする事を求められるのは当然かもしれません。

しかし、そこで、充分な事ができないからといって、人間性まで否定されるような事を言われる覚えはないのです。
たとえ言われたにしても、自分で自分に言わない事です。

青臭いように思えても、人間は、とか、人生はといった視点に立ち返る事は助けになると思います。

誰でも、自分が大切にしたい何かに添って生きてきているものです。
今の時点では、うまくそこで成果、結果が出せていないかもしれません。
それでも。そこでひたむきにやっている自分の事は、自分自身が承認してやる。頑張っているね、良くやっているね、と自分に言ってやるのです。

回り道のようであっても、それが望む結果を得る為の早道のように思えます。

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